Feb 23, 2009
webデザイナーやサイトのデザイン
やはりインターネットでは、サイトのデザインというものが非常に重要。これによって、同じ情報でも、表示が全くと言っていいほど違ってね。そしてサイトのデザインを決定するのはwebデザイナーですね。このwebデザイナーのサイトのデザイン感覚によって、インターネットはパッと変わります。Web制作に携わる人なら誰もが心を痛めていると思いますが、中傷コメントを時々見ることができます。運営者本人は悪くないのに、サイトを閉じた場合も少なくないと聞きました。なんだか残念ですね。そこで、Web制作、サイトの質を落とさないためにコミュニケーションのコラムを用意している人もいます。読者の反応が直接渡されないため、孤独は少しであるかもしれません。しかし、失礼な訪問者から保護されます。
東日本大震災で津波被害を受けた岩手県宮古市の田老地区で、津波が陸地をはい上がった高さ=遡上(そじょう)高=が37.9メートルに達していたことが4日までに、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授らの調査で分かった。国内最高値は1896年の明治三陸地震の際に同県大船渡市で観測された38.2メートル。今回の津波被害がさらに大きかった地域では、過去最高値を更新する可能性があるという。
調査では、田老地区の海岸線から約200メートル離れた斜面で、木くずなど津波の痕跡を発見。測定の結果、この地点は津波当時、海面から37.9メートル高い位置にあったことが分かった。斜面の手前には消防車も流れ着いていた。
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2日に終了したNHK総合の連続テレビ小説「てっぱん」の平均視聴率が関東地区17.2%、関西地区16.2%(ビデオリサーチ調べ)だったことが4日、分かった。前作「ゲゲゲの女房」の18.6%(関東地区)には及ばなかったが、最高視聴率は23.6%(同)で肩を並べた。
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「避難所に来てから眠れなくなった」。東日本大震災の被災者が集まる避難所で、不眠を訴える人が後を絶たない。避難生活のストレスや余震の心配などが原因とみられる。放置すると体調を崩したり、持病を悪化させる恐れがあり、医師らは睡眠導入剤などを処方している。避難者は「仮設住宅を早く建設するなど根本的な解決を目指して」と訴える。
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約300人が身を寄せる岩手県大槌町の城山公園体育館。震災後まもなく沖縄県医師会の支援で本格的な診療が始まり、3月23日以降は地元の薬局が薬の処方を始めた。体育館に開設された診療室によると、毎日10人以上に睡眠導入剤を処方しているという。
「ここに来てからずっと眠れないんです」。震災から3週間がたった1日、避難生活をする小向センさん(71)が医師に打ち明けた。「震災当日に避難して以来、午前1時ごろに寝て3時ごろ目が覚める。行方不明になったり、亡くなった知人が元気なころの夢を見るんです」と訴える。
別の女性(66)は「他人のせきや、トイレに立つスリッパの音が気になって眠れない」という。避難生活で体調を崩したという男性(69)は毎晩せき込んでなかなか寝つけない。「今後の生活や家のことを考えると、心配事がいくつも出てきて眠れない。せめて家族だけで過ごせる仮設住宅を早くつくってもらえたら、少しは安心できるかもしれない」
大槌町によると、診療室では毎日平均70?80人が受診している。当初は津波にぬれ低体温症になったり、がれきで外傷を負った患者への手当てに追われた。その後、津波で高血圧や糖尿病の薬を失った患者の相談対応、風邪などの治療が増えた。しかし、不眠を訴える声は震災直後から後を絶たないという。
沖縄県医師会の比屋根勉医師(62)は「今の生活では睡眠導入剤を服用してもらい、体を休めてもらうしかない」と話す。自身も津波で被災し、別の避難所で診療を続ける植田医院(大槌町)の植田俊郎医師(56)は「不眠が続けば体力を失って風邪を引きやすくなったり、もともと高血圧や糖尿病だった人は悪化する可能性もある。睡眠障害は病気なので、遠慮せずに相談してほしい」と呼びかけている。【福島祥】
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東日本大震災で、岩手県大船渡市にキャンパスがある北里大海洋生命科学部で、ただ一人行方不明となっている瀬尾佳苗さんを東京の家族が捜している。生き物が大好きで、同学部への進学を決めた佳苗さん。大津波があったのがうそのように穏やかな三陸の青い海を前に、両親は「娘が大好きだった海。恨むことはできない」とたたずんだ。4日は佳苗さんの21歳の誕生日だ。【佐藤敬一、蒔田備憲】
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3日、津波で一帯ががれきの山となった大船渡市三陸町越喜来(おきらい)に、娘を捜して歩く父真治さん(56)、母裕美さん(52)、兄亮介さん(23)の姿があった。震災後、大船渡を訪れたのは2回目になる。
同学部は2年生から、相模原市から大船渡市にキャンパスが移る。「海のそばがいい」と佳苗さんが昨春決めたアパートは、今は跡形もなく土台が残るだけ。「どうしてもまずここに来てしまう」と真治さん。裕美さんが「何にもないんだね」とつぶやいた。
佳苗さんは東京農大一高在学時、馬術部に所属。毎朝4時に起き馬の世話をした。将来は生き物にかかわる仕事に就きたいと考えた。リアス式海岸が広がるキャンパスを見て、北里大進学を決めた。
将来の夢は水族館職員。大学では生物部と茶道部に所属した。裕美さんは「『漁師のおじさんが魚をくれた』なんて話をしたり、『自分に合っている街』というほど三陸を気に入っていた」と語る。真治さんも「帰省してもすぐ三陸に帰りたがっていた」と話す。
大震災発生5日後の16日夜。ようやく大船渡市に入った両親は、変わり果てた海辺の街に息をのんだ。避難所などを2日間歩き回ったが、佳苗さんは見つからない。娘が乗っていた車がボロボロになって発見され、真治さんは足が震えた。財布は拾得物として交番に届けられ、真治さんと裕美さんが2日、がれきと化した街中でスノーボードも見つけた。
「好きな魚の勉強をしたくて大船渡に行った娘の将来に期待していた。佳苗の使っていた物が一つでも出てくれば。本人がひょこっと出てきてくれると一番いいけれど」と真治さん。裕美さんは言う。やっぱアパート経営入門「1%の確率であっても、娘を連れて帰りたい」
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